20年ぶりのインド・デリー:変わった事、変わらない事

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わたしは何箇所か海外に住む機会がありました。その中でも最も自分の人生に影響を与えた国の一つがインドでした。そのインドのニューデリーに住んでいました。1995年から1998年の2年半。

そんな愛着のあるインド・ニューデリーに20年ぶり訪れました。その時の感想、20年前との違いをまとめました。

思い出の地:20年ぶりのインド・デリー

突然仕事の関係で、20年ぶりのインド行きが出張で決まりテンションが上がりました。しかも行き先は昔2年半住んでいたデリー。デリーの思い出を語ろうとすると止まりません。

当時、インドの知識が全くない状態で住むことになり良い事、嫌な事、信じられない事いろんな思い出が詰まった場所です。そんな思い出のデリーに行けることになり、早速、昔の友人、行きたいところリストアップしながらワクワクしていました。

 深夜にデリー到着

心躍らせながら、成田からデリーまで約8時間。着いたのは深夜0時。

まず驚いたのはデリーのインディラ・ガンディー空港が新設されていたこと。20年前の当時はまだ古い空港で、空港に早く着いても何もやることなし。床を拭くモップ吹きの洗剤からくる消毒臭さと、カレーの匂いが独特な印象でしたが。

さすがに匂いはそのままでしたが、空港の綺麗さにはびっくりしました。

あささ
デリーの空港につくと懐かしいなんとも言えないデリーの匂いが。20年前の色々な思い出がフラッシュバックする

変わったこと・変わらないこと

空港からそのままホテルへ、そして就寝・・・でも眠れない

その晩はそのままホテルへチェックイン。そのホテルも20年前には無かったホテル。20年前は急激な経済発展の影響からホテル不足で大変でした。五つ星のホテルといえばTaj Mahal Hotel、Taj Place Hotel、Oberoi、Mauria Sheratonくらいでした。いまでは日航ホテルまで進出して便利になりました。

さてホテルに入ってからはやる気持ちを抑え、次の日のためにベッドへ。でも寝ようとしてもすぐに目が覚めてしまいます。どうやら、知らないうちにデリーについて興奮していたのです。

あささ
目をつぶっても色々な思い出、明日どこへ行こうかを考えていると目が冴えてしょうがない。

やっぱりデリーには語りつくせない愛着があるみたいです。

よく朝、起きてみると・・・

そんなこんなで、深い眠りにつけないまま翌朝を迎えました。さあ、ホテルの窓から景色を見てみると、どんよりとした空気で霞んだ朝空でした。

その時、事前デリーに住む友人からアドバイスをもらっていたのを思い出しました。

面接官
とにかく空気汚染がひどい。普通のマスクじゃ肺炎になる。PMカットのマスクを持ってきた方がいい。

しかも調べてみると、

ニュース記事
2018年に世界で最も大気汚染が深刻な都市はデリー。・・・大気中の微小類分子物質PM2.5は、日本でも空気汚染がひどいと話題になる北京の倍

とあります。流石に「世界一」「PM2.5北京の倍」のインパクトは強烈です。友人のアドバイスどおり業務用PM2.5カットのマスクを買いました。

いざ街中へ:20年前と「変わったこと」「変わっていないこと」

早速、朝食を済ませてデリー街中へ。目に飛び込んできたのは20年前と「変わったこと」と「変わっていないこと」。

緑・黄色リキシャー

まず目に入ってきたのが「リキシャー」。3輪のインド特有のタクシー。20年前は黒と黄色が定番でしたが、今は緑と黄色が。この新しいのは「エコ・ガス」を使っているからとか。確かに、20年前から空気汚染の一因はリキシャーの質の悪い燃料とエンジンのせいと言われていました。いぜんとして空気は悪いので効果はわかりませんが・・・。

大好きな場所:フマユーン廟 外国人値段 vs. 現地値段のギャップはえぐい

今回のデリーツアーで絶対に外せなかったのが「フマユーン廟」。ムガール帝国時代の皇帝:ユマユーンのお墓。有名なタージマハルの原型になったこのお墓。

もしタージマハルへ行こうとすると、デリーから片道3時間1日がかりの日程になるので、そこまで行けない人にはこのフマユーン廟に連れてきていました。そのため何百回も行った思い出の場所です。

いざ行ってみると、観光客が昔と比べて増えた印象。20年前のゆったりとした雰囲気は薄れていました。そして、入館料がべらぼうに上がっていました。外国人料金が現金で600ルピー(=約1000円)インド人は40ルピー(=約60円)。当時から「外国人料金」はありましたが、ここまであからさまとは・・・。

(混雑する入場チケット売り場)

中に入ると、フマユーン廟の美しさはそのまま。

あささ
当時から広い敷地に広がる、美しい遺跡の雰囲気が大好きでした。20年ぶりの再開はなんとも言えない。

 

のら牛

インドといえば野良牛。街中にはインドで「神様」である牛が堂々と闊歩しているなんて事はザラでした。交通渋滞の原因は、道路の真ん中で牛が交尾していたからなんてケースも実際に見ました。

しかし今回街中に出ると牛の数が減少しています。話によるとデリー政府が牛を郊外に強制退去させているらしいとの事でした。衛生上の問題、交通渋滞の問題、インドの神様である牛の宗教的な問題等、色々背景はあるようです。

(それでも見つけた数少ない野良牛さん)

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女性の服:民族衣装「サリー」「パンジャビドレス」が激減、洋服率が増えた

あと気が付いたのは服装です。20年前の当時、女性の服装のほとんどが民族衣装である「サリー」か「パンジャビドレス」。今では洋服を着ている女性の方が感覚的に多い感じでした。ここにも西洋化の波が着ているんですんね。

その他、気づいた事①:路上の床屋

路上の床屋は変わっていませんでした。しかも全く同じ場所に。今の値段は聞けませんでしたが、20年前は7ルピー(約10円)でした。

その他気づいた事②:空港でのトイレ写真

デリー空港で見つけたトイレの男女を指し示す写真。これでインドの美男美女の代表例があるようで興味深い。

まとめ

20年ぶりにインド・デリーに降り立って、変わった事、変わっていない事を見つける旅でした。一番衝撃だったのが空気が昔よりさらに汚くなった事。以前にも増して悪化した空気。実際に住んでいる人は外出もためらうほどとか。

あとは野良牛が減ったり、女性の衣服が西洋化したりと近代化への道を進んでいることを実感しました。そんなデリーはデリー。根本的な事は昔過ごしたデリーで、行くところ先々で思い出がフラッシュバックしてきました。

あささ
やはりデリーは自分にとって大きな影響を与えてきたんだなぁ
と再実感。



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