もくじ
学生時代
中高時代:英語が大嫌い
私は、中学、高校時代、英語が苦手でした。英語の試験なんて大嫌いでした。ましては、平均点も取った覚えはありません。そもそも海外には興味がありました。でも、
と、開き直っていました。どうせやるなら、本当に使える(=コミュニケーションができる)英語を勉強したいと。
大学時代:コミュニケーションできる英語を勉強したい!
まずは英会話力アップ!1日×30分×10個の簡単な文書を覚える
大学に入ってからは、文法なんて勉強したくないな。コミュニケーションできる英語に特化して勉強してやると決意して、喋れる事に特化した勉強をしました。ここら辺の、英語基礎力無しからの英会話勉強でやった事はこれ。
新たな壁が・・・TOEFLの点数取らないと語学留学いけない???
その後、日本で何とか英会話基礎力をあげたところで新たな壁が。それは、語学留学するためにはTOEFLの点数をクリアしなくてはいけないという事。、腕試しに語学留学しました・・・。ここも何とかクリアして語学留学へ。
語学留学
カナダ・バンクーバー:8ヶ月 + アメリカ・ワシントン州: 8ヶ月
大学から派遣される形で、カナダ、アメリカと留学させてもらいました。
そこでは色んな失敗をしました。今考えれば恥ずかしい失敗を数え切れないくらいにしました。当時はハンバーガー、一個頼めるだけでも嬉しかったものです。当時の苦労はこちらにまとめました。
海外留学の際には、どこに住むかも重要です。ホームステイ、学校寮、学校郊外借り上げなど、選択肢があります。それぞれにどういったメリット・デメリットあるでしょう。そこらへんの詳細はこちらにまとめました。
海外駐在
私は幸運な事に、今まで何度か海外駐在する事が出来ました。
- インド、デリー: 2年半 (1995年〜1998年)
- 中国、上海: 3年 (2005年〜2008年)
- 台湾、台北: 4年 (2008年〜2012年)
これら、駐在時代には楽しかったり、時には厳しい駐在生活をしました。そのお陰で海外の色々な文化、風習を学ぶ事ができて自分の財産になっています。
それぞれに、色々な思い出があります。その時、学んだ異文化経験を紹介したいと思います。
インド、デリー: 2年半
インドのデリーでは、なんちゃって公務員的な仕事をやっていました。
当時のインドは1991年からの経済開放で、外資がチョロチョロ入り始めた時期でした。ただ、インド国内の産業を守るため、まだまだ外資の制限がされていました。
海外のものが、まだ入ったいなかったからこそ珍しい経験もできました。日本製のボールペンを上げるだけで喜んでくれたり・・・。
そのため、デパートはなく食肉を買うのは市場で生きた鶏をさばいてもらう。車も走っているのは、マルチスズキか国産車のアンバサダーとまだまだワイルドでした。
中国、上海: 3年
上海では、日系企業の駐在員として滞在していました。
当時の上海はまさにイケイケ状態。経済が高度成長期で絶好調。道路もビルも建設ラッシュ。3ヶ月ごとに道も建物も変わる、急激なペースで成長、変化していました。
今では信じられませんが、上海テレビ塔の周りはのどかなゴルフ練習場があったりしました。今では世界を代表する金融都市で超高層ビルが立ち並んでいますが。
みんな、「未来は良くなる」と信じて、ギラギラ感満載でした。そんな、高度成長期の上海でもいろんな出来事がありました。
そんな中、中国文化をお勉強させていただく機会も多々ありました。その中でも、中国式飲み会、テーブルマナーは強烈なものでした。詳細はこちらブログにまとめました。
また、おなじ北京語を話す中華系の人たちである中国(大陸)人、香港人、台湾人、シガポール人であっても我々外国人にとっては全く理解できない深い微妙な関係性も存在することがわかりました(詳細ブログはこちら)
台湾、台北: 4年
台北でも、日系企業の駐在員として滞在していました。
当時は、上海から引っ越してきたという事でもあり、かなり落ち着いた街だなとの印象がありました。その、落ち着き感、台湾人の優しい人柄に癒された思い出があります。
そんな中、自分のマーケティングの経験を駆使してNHK「台湾のど自慢」に応募したのもいい思い出です。(詳細はこちらブログで)
海外生活を通して学んだこと
『世界正式英語」なんてない!
英語ってどこに行ってアクセント、言い回しは違う。それぞれローカルのアクセント、言い回しを尊重しよう。そして「正確な発音」よりも「的確に相手に伝わる英語」が大切と学びました。そこらへんのお話こちらにまとめました。
まとめ
これら海外生活、時にはには楽しかったり、時には厳しい生活でした。そのお陰で海外の色々な文化、風習を学ぶ事ができて自分の財産になっています。
これらのエピソードを今後、楽しくシェアしていきたいと思います。