私は幸運にも台湾で駐在する機会がありました。(詳細はまとめブログで)
そしてうちの息子のたいくんは、私が台湾駐在しているときに生まれました。しかも出産は台湾の台北で。本人のたいくんを含めて、私たち家族は今でも台湾で出産して良かったと思っています。それは、
- 温かく町の人が妊婦を気遣ってくれる(赤ちゃんを連れて歩いているとすぐに優しい声をかけてくれる)
- 病院も近くて、すぐに駆けつける(町のサイズがコンパクトでタクシーでヒョイと移動できる)
- 医療も整っている(お医者さんに欧米で学んだ人が多い)
というのが主な理由です。
そんな、台湾での出産がどんな感じだったかをブログにまとめます。
もくじ
おめでた報告:出張が重なり電話で嫁に確認 すると…
おめでたの事実を知った時の事は今でも忘れません。それは羽田空港のターンベルトで荷物を取っているとき。
ちょうど嫁が病院でおめでたの結果を聞く日、あいにく出張がぶつかってしまいました。飛行機の中でも結果を知りたくて、ソワソワしていました。そして羽田空港に着いてパスポート審査が終わってから、すぐに嫁に電話しました。正直そんなに期待はしていなかったのですが…。
すると、
と。この言葉を聞いた時には、なんとも言えない気持ちになりました。最高に幸せでした。信じられないのと嬉しいの気持ちが、混じってパニックになりました。
そうだ、台湾で出産しよう:台湾の医学レベル 欧米?
さあ、ここから出産の準備です。まずは、最初の決断はどこで出産するか。
それが私たち夫婦の決断でした。確かに私たち夫婦は中国語が完璧でなく不安でしたが、その反面、
- 台湾の医学は進んでいる
- 日本は病院不足で受け入れに何かと面倒で遠い(と聞く)
- 台湾だと病院まで近い(いざというとき、タクシーで15分くらいで着く)
- 日本人の友人、何人かが台湾で無事出産している
- 日本で出産すると、私が子供が生まれるタイミングで休暇→帰国→数日で台湾に戻る→母子と離れ離れ生活が嫌だ
- それにいいタイミングで休みを取れるかわからない
などなど。
3Dエコーで初対面
まずは、友達が実際に出産した病院で診察。そこで定期検診の時に3Dエコーを撮ってくれました。その時、まだ数センチしかない、たいくんに初対面しました。
この3Dエコー写真、その後も定期的に撮って経過を教えてくれました。後で日本で出産した友人に聞いていると、ここまで3Dを何回も撮るのは珍しいとの事。これも、欧米的医学の影響なんでしょうか?
妊婦に優しい台湾:町を歩いていても気遣ってくれる
そんな感じで、お腹の中のたいくんも無事に育ってきました。それとともに、嫁のお腹も目立つようになってきました。すると日本ではあまり、ありませんが台湾では何かと声をかけてくれます。
とか何かと温かい声をかけてくれます。ときには「そこまで突っ込んでくるか?」と思いましたが・・・。さすがに「新幹線の形」=「男の子」説は知りませんでした。
出産日:突然産気づく それでも嫁は「まだまだ」と粘る
出産日が近づき、まだかまだかと待つ日が続きました。そして「その日」は、ほぼ出産予定日どおりにきました。
会社帰りに、行きつけのチャーシュー弁当を買って帰宅。一緒にその弁当を食べていると、嫁が
と言い出しました。私はすぐに病院に行こうと提案しましたが、嫁は拒否。
なんでも、お医者さんから
その言葉を信じていた嫁は、ギリギリまで粘ろうとしました。だんだん痛くなる周期が短くなり、見ている方がハラハラしました。私も我慢できず、「空振りでもいいから、とにかく病院に行こう」と提案。嫁が渋々同意という謎の構図でした。
そして、慌ててタクシーを呼んで病院に行きました。その際、なかなかタクシーが来なくてイライラしましたが。
病院行ったらベテランの先生すら慌てる:「半分頭出ていますよ」
病院に行くと、いつもの先生が対応してくれました。先生は状況を見ると、
と言って大慌てで準備を始めました。経験豊富な先生が焦るくらい、たいくんが出かかっていたのでしょう。そこまで我慢した嫁の忍耐力恐るべし。
出産時、「用力(ヨンリー=力を入れて)」
出産の際、私も分娩室で立ち会いました。分娩室に入ると、何らか書類にサインさせられました。万が一の際は責任がどうこうの書類だったと思います。その時は、
分娩台では、嫁が分娩台にくくり付けられている太いゴムみたいのを握らされ苦ししそうにしていました。先生は中国語で、
と何回も叫んでいました。こんなとき北京語頻出単語をお勉強させていただきました。
何度も嫁が「用力」した後、ついにたいくんが生まれました。元気な声で泣いていたのが忘れられません。
30分で無事出産:スポーンと!
終わってみると、分娩室に入って30分。極めて順調な出産でした。
これもギリギリまで病院に行くことを拒んだ、嫁の忍耐力のおかげかもしれません。なんて言ったって、経験豊富な先生が驚くほど粘ってから病院に来たわけですから。
まとめ
と言うわけで、無事たいくんが台湾で生まれたお話でした。
今でも台湾で産んで良かったと思っています。
- 温かく町の人が妊婦を気遣ってくれる
- 病院も近くて、すぐに駆けつける
- 医療も整っている
そんな台湾たいくんも愛着を持っているようです。野球で「日本 vs 台湾」の試合をしている時、たいくんは台湾の応援をしていました。
いつか家族で台湾旅行をして、出産した病院を訪れたいと思っています。
無事出産を終えた嫁はその後、台湾の産後ケアセンターに入って、至れり尽くせりで体力回復をしました。そのお話はこちらで。