以前、早期退職決断に至るまでの時系列をまとめて記事にしました。
ここでは、その決断に迫られた時、自分はどういう状況だったかをまとめます。
もくじ
海外駐在中に所属部門が売却された・・・ そして海外支社にいながら転社
当時私は、海外駐在から帰国して日本の本社復帰しました。復帰と言っても、ちょっと微妙な復帰でした。
なぜなら、私が海外駐在している間に、以前に所属していた部門が丸ごと売られてしまったからです。つまり、今まで「モスバーガー〇〇部門」勤務だったのが、海外駐在のうちに本社が「マクドナルド〇〇部門」勤務に変わっていた様なものです。しかも「買われる側」でした。
そんな事が海外駐在時に起こり、海外支社で部下を30人引き連れて買われた側の海外支社に異動しました。もちろん大きな変化でしたが、比較的小さな組織だったので、なんとか許容範囲でした。
日本本社に帰ってみると・・・ 私は浦島太郎だった
それから数年後、本社に戻る時がきました。戻ると行っても出社する会社はなんの思い出もない会社。もっと言ったらライバル会社と言われていた会社。
と言うのが実感でした。そして出社初日からは入社研修、システムへの登録等々、転社したと実感しました。しかも、周りの仲間は会社統合して数年が過ぎていたので新しい環境に慣れている様に見える。
と思っていましました。考え過ぎかもしれませんが・・・。
そんな自分の当時環境:異なる文化、中央集権のため役職者でありながら限られた権限
そんな中、しばらくして私は幸運にも役職を与えられて、それなりの立場をオファーしてもらいました。でも何だかやりきれない日々が続きました。当時、自分の状況としては、
突如本社の経営悪化:そして会社は傾いた
そんな中、会社の経営状態は突如ドドぉーと傾きだしました。問題の発端は別部門でしたが、すぐさま会社全体の経営に暗雲が立ち込めました。そして、様々な指令が・・・
- ボーナス・給与カット
- 設備投資凍結
- 出張禁止
- 経費削減
- 残業抑制・・・等々
雲行きは怪しくなってきました。
そして所属部門の製品も新技術への置換え:定年まで持たないかも・・・
そのインパクトは私が所属している部門へもきました。そもそも私たちが扱っていた製品、新しい技術との置換え製品でした簡単に言うと、
・機関車→電車
・洗濯板→洗濯機
・ビデオテープ→DVD
世の中には常にこうした動きがあり、私たちが扱っていた製品も変化が起こりつつありました。そして、少なくとも私自身の定年まで、その製品が生き残っているイメージが湧きませんでした。
当然、そうした状況は経営者側もわかっています。つまり、本社経営悪化と共に
そんなトリプルパンチの中、会社は早期退職を募集。対象に入っていた私は決断に迫られたのでした・・・。どう決断に至ったかはこちらのブログでまとめました。
会社経営悪化、所属部門不振、馴染めない自分のトリプルパンチ:そして早期退職の決断を求められた